
神道は日本民族固有の神々への信仰、信頼を有する生き方でございます。教義経典があって生まれたものではなく、森に、風に、水に、大地などに神々が宿っていると考える自然崇拝や精霊信仰などから発し、私たちの先祖が長い歴史と伝統の中で生活とともに守り育んでこられたものでございます。
遠い昔、日本は農村社会でございました。農業は田植え、除草、稲刈りと、いずれも自分の手で行う中で、人々は自分たちの苦労が自然の恵みに報われるのを体で感じていました。田んぼに苗を植えると、それは太陽の恵み、水の恵みによって育っていく。少しずつではあるが毎日、苗は大きくなっていき、秋になれば黄金色の稲穂となる。その成長過程を見るのが人々にとって大きな喜びがありました。人々は自然のありがたさを我が目で確かめ、肌で感じることができました。
大地が自分たちを守ってくれている。自然に守られ、育てられることでコメが獲れ、自らの生命も子孫へと継承されていく。農業とは、自然と、神々との一体感を得られるものでございました。大地の神、水、風、太陽の神々の働きで、家族や村が生きていける。だから、人々は村をあげて祭りを行い、自分たちの暮らしを成り立たせてくれている神々に対する感謝の気持ちを表していました。
私たちの生活は、衣食住をもたらしてくれるすべてのものが、自然からの恵みによって支えられております。
蛇口を開けば出てくる水も、あまりの便利さからありがたさを忘れがちですが、まさに自然からの賜物であり、私どもの生命にしても自分一人で生きているのではなく、祖先から授かったものでございます。
新年を迎えれば、家族そろって年神様をお迎えしてお祝いし、過去一年間の無事に感謝するとともに今後の平穏無事を祈ります。また春先には自然の恵みを得て五穀豊穣を祈願する「祈年祭」をおこない、お盆になれば祖先の御霊をお迎えして霊祭がおこなわれます。また、秋になれば収穫感謝祭としての「新嘗祭」をおこないます。もっと身近にいえば、日ごろ使っている火も竈の神様である「荒神様」を祀り、水にしても「水神様」をお祀りし、その恩恵に対する感謝とともに、大切にする心を育んでまいりました。
このように私たちは常に、天地自然の神々のお蔭をいただいて、この世の中に生かされているという謙虚な心をもつことが大切ではないでしょうか。また、こうした心をもつことによって、今まで当たり前と思われていたことも、「お蔭様」でという思いになり、その中から道徳心や倫理観の向上が図られ、より豊かな充実した人生を歩むことができると思われます。
神道の信仰とは、
自然と共に生き、祖先と共に生き、人々と共に生きる道
でございます。
自然との調和を図り、先祖伝来の伝統文化を重んじ、人々の繋がりを大切にし共存共栄の途を開いていくことでございます。